自粛ムードの中で年が明けたが、年の始めとしては気持ちがどこか晴れやかでないまま、巣篭もり(春の季語)の時季となった。
それでも自然の営みは変わらずに野や山や海で春の訪れをしっかりと告げているように感じた。
花曇の轟の滝(名護市)では、高さ約80メートルの所から勢いよく音を立て水が落下して、しぶきが舞っていた。約1500年前に一枚岩が削られて出来た滝には、琉球王国時代に納涼殿が建てられ景勝地となった。その自然と歴史文化の風景が今に伝えられている。
コロナ禍の中、時を刻むかのように流れ落ちる滝を見ていると、ふと想い出したのは、災害や世の乱等から価値観の変化を綴った随筆「方丈記(約800年前)」の一節「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」で、今の社会状況によく似ている。
冷たい風が吹く滝の傍は、寒緋桜が色鮮やかに咲き、シダ類やヒカゲヘゴなどによって、動と静の高質な空間に包まれていた。
桜の花が散り、ワカリビーサ(寒さに別れを告げる)の後、暖かい南風が吹く頃には、この憂鬱な時期がいつもの季節の変わり目や、滝の水の流れのように過ぎ去ってほしいものである。
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