
50回目の連載を記念して、「魔法の成分」の大源流とも言える『ウォルト・ディズニー誕生の場所』 を訪れた時のお話と、ウォルト・ディズニーについて、語り継がれる『誕生からの物語』を少しだけご紹介させていただきます。
私はこれまでずっと、アメリカ合衆国ミズーリ州マーセリンがウォルト・ディズニーのゆかりの地であると認識していたのですが、正確にはイリノイ州シカゴこそ、彼が誕生から4歳までの月日を家族と共に過ごした、正真正銘の生まれた場所であることを知りました。
しかもその生家が、シカゴの地に残っていると分かり、是非この目で見てみたいとシカゴへ赴いた際に、撮影したのがこの写真です。
ウォルト・ディズニーの誕生は1901年、生家は1892年頃に建てられたとのことで、現在に残る写真の家は、当時の家を正確に復元したものです。
もともと裕福とは程遠かったディズニー家は、この家をウォルトの母フローラが設計し、父のイライアスが建設したそうです。
家を建てるのにかかったのは800ドルほどで、これは当時でも普通の額ではあったのですが、父イライアスの稼ぎは一日1ドル。そんな苦しい生活の中でも、5人の子どもたちと暮らせる家を建てたそうです。
…と、こんな風に書くと、ウォルトは家にお金はなくても沢山の愛情に恵まれてノビノビと育ったのか、とイメージしてしまいそうになりますが、実際はその真逆で、父のイライアスは超がつくほど厳格な人物な上、なかなか定職につくことができず、子どもたちに早朝から学校帰りの夕方まで新聞配達をさせ、学業にも身が入らなくなる生活をおくらせていたと、昔読んだ本に書かれてたことを覚えています。
おまけにウォルトが学び始めた絵についても関心を示さず、後に彼が大成功を収めてからも冷たい態度を取り続けたそうです。
それでもウォルト・ディズニーという人物が、その名を歴史に残すまでになったのは、彼の言葉を借りて表現するならば「好奇心・自信・勇気・不変性」がずっと心のなかにあったから、そして兄のロイによる献身的な助けがあったからなのではないかと思います。
彼が紡いできた魔法の歴史は、成人し仕事を始めるに至っても、決して平坦なものではなかったのでしょうが、そんな彼の人生を見て「ウォルト・ディズニーの生まれた家を修復したい!」と2人のディズニーランドのアニメーターが物件を購入、ウォルト・ディズニー・カンパニーとクラウドファウンディングによって元の状態にまで修復しました。
修復時に作られた足元のタイルには、彼と彼の作品に対する多くの愛情が刻まれています。
シカゴの冬は雨か雪ばかりであまり太陽が顔を出すことはないのですが、あの日生家を訪れ、寒さを忘れてしまうほどの感動に打ち震えているその時に、僅かながら陽光が差したことには、魔法のような暖かさと輝きを感じずにはいられませんでした。
この家の建つ通りには「DISNEY FAMILY AV」の文字。閑静な住宅街の一角に、いまでも彼がそこにいるような錯覚を覚える、不思議な体験をしました。
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