どんよりとした曇り空が続き、肌寒い北風が吹く頃になると、木々の緑も色あせて、年の暮れが近づいている事を感じるようになる。
年中行事も終えて一息ついた田畑に、「灰色のセメント瓦屋根」の民家の風景は、いつの間にか「やんばるの自然」に同化している。
かつての、茅葺や赤瓦の屋根は去る対戦でほとんどが消失し、戦後復興の住まいづくりの主流は、施工が簡易で安価なセメント瓦屋根の民家がやんばるから普及し始め沖縄各地へと広がった。
ちなみにセメント瓦が最初に屋根材として使用されたのは名護市内(1935年:昭和10年)であると言われている。沖縄の屋根素材は(茅葺、赤瓦、セメント瓦、鉄筋コンクリート等)への変化の中で、現在残っているセメント瓦工場は名護市内の一件だけである。
樹齢を重ねた琉球松と、セメント瓦屋根のある風景に出会う度に、昔ながらのやんばるの暮らし向きの風景の変化が伝わってくる。
この頃、セメント瓦屋根に塗装をほどこしたり、苔の生えた屋根を見かけると、暮らし方の変化にも馴染んでいるようにも見える。
そんなありふれた「灰色の甍(いらか)の風景」が、やんばるの時の移ろいを感じさせながら、今年も静かに年の瀬を迎えている。
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